相模原の寺社・文化財 -さがみはら百選-
八菅神社
宝泉寺本堂 明治維新までは神仏混淆の信仰に支えられてきた聖地であった。かって山内には七社権現と別当・光勝寺の伽藍、それを維持する五十余の院・坊があって相模の国峰として盛えていた。八菅山縁起によると日本武尊が東征のおりにこの山を望み見て、山容が蛇の横わたるに似ているところから「蛇形山」と名付けたという。また、大宝三年(703)修験道の開祖役の小角(えんのおずぬ)が入峰し修法を行ったとき、忽然として「池中に八本の菅が生えたことから八菅山の名が起こり、和銅二年(709)には僧行基が入山、ご神体及び本地仏を彫刻し伽藍を建立して勅願所としたという。
 しかし、明治の神仏分離令により光勝寺は廃され七社権現は八菅神社と改称、今日にいたっている。この神社を中心にスダジイを代表とする 2.5haに及ぶ社叢林(県指定天然記念物)があり、境内のクロガネモチの巨樹(町指定天然記念物)は高さ 20m、目通り2.3m、樹齢 250年という。
八菅神社の梵鐘
 新編相模国風土記稿の八菅村七社の項に「鐘楼元和四年(1618)鋳造ノ鐘ヲ掛」とあるのがこの梵鐘である。三増合戦の時に義侠の死をとげた千葉金兵衛宗清の供養のために一族の者が奉造し、併せて徳川家康の冥福と秀忠の武運長久をも祈願したと伝えている。
芭蕉の句碑
 神社の入り口には芭蕉の句碑(1860年建立)もある。
八菅神社護摩供養火生三昧の修法
 毎年3月28日正午、愛川町八菅神社の例大祭が行われる。ほら貝の先達に導かれた山伏が神社拝殿下の広場に歩みを進め、古式豊かに火渡護摩修法が執り行われる。燃えている火の中を山伏たちがゆっくり歩く。最後には観客も火渡りが許される。

所在地:
  愛甲郡愛川町八菅山141−3
交 通:  小田急線本厚木駅から上三増又は愛川町役場行きバスで「一本松」下車徒歩20分
問合先:  愛川町環境経済部商工課 電話046-285-2111(代)FAX046-286-5021


急な石段を喘ぎながら登ると本堂になる。align= 八菅山修験道の石碑 日本尊のみことが建立した歴史のある神社である。
急な石段を喘ぎながら登ると本堂になる。本堂はあまり広くはないが、八菅神社は囲むように遊歩道がある。 八菅山修験道の石碑 八菅神社についての説明が書いてある。日本尊のみことが建立した歴史のある神社である。
八菅神社はいたる所に古木が有る。 女坂を歩くと、キノコが開いたような休憩所に出会う。 女坂をこんな、なだらかな道で車も乗り入れ出来る。
八菅神社はいたる所に古木が有り、神社をうっそうと囲んでいる 女坂を歩くと、キノコが開いたような休憩所に出会う。ただし、化学製品作られている。 女坂をこんな、なだらかな道で車も乗り入れ出来る。
参考文献;愛川町教育委員会「愛川の文化財」


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