当麻道(久保沢道)
 当麻道の二筋目は、津久井方面から大島・古清水、田名・四ッ谷を経て、広い原野を通り抜け無量光寺へ向かう道筋であり、「久保沢道」とも呼ばれていた。

 久保沢の宿は、城山町川尻地区にあり、街道の要所であると同時に江戸時代には六斎市(ろくさいいち)も開かれ、材木・木綿・海産物を中心とする取引の場として繁栄していた。

 津久井方面からの道筋では、田名地区などに道標が残っているが、多摩方面からの道標とその形式は異なっていた。いずれも同時代に造られたもので、その当時、無量光寺へ向けての道標が盛んに立てられていったようである。

現在の古清水集落
 大島村の古清水辺りの光景である。広々とした原野に村落が点在していたと思われる。

 川尻地区から一里ほど下ったあたりで、「津久井道(つくいみち)」と分かれ、田名村の四ッ谷集落から当麻へと向う。

問合先:文化財については、相模原市文化財保護室 042-769-8371



上四ッ谷の久保沢道 上四ッ谷の久保沢道石碑 田名四ッ谷
橋本から田名へ向かう大山道と交差する辺りの大沢道である。樹木に囲まれた家並みや大きな木が立っている。
上四ッ谷にある「久保沢道」の石碑。「当麻街道」とも呼ばれていた。「北東 久保沢方面、南東 当麻方面」書かれている。
田名四ッ谷の久保沢道の光景。写真右の道を進んでいった。左手が「四ッ谷石神社」である。

四ッ谷石神社 石神社の石仏 不動明王像
四ッ谷石神社、堀の内村落の守神である。石でできており石神社と呼ばれ境内には沢山の石仏等が残っている。
10基以上の古い石仏等がある。不動明王、供養塔、大山道と書かれた石碑も見られる。
不動明王像。大山道や当麻道の要所には不動明王像が立てられていた。

田名半在家の久保沢道石碑 田名半在家の久保沢道光景 県立相模田名高校
田名半在家の「久保沢道」石碑。当麻山無量光寺へお参りに行く人々も通っていたので「当麻街道」とも呼ばれていた。
久保沢道の光景。ここから当麻山無量光寺への道のりは1里半ほどであり、相模原台地の草莽を渡っていった。
この石碑は、県立相模田名高校の横にある。川尻地区から遊行の道半ばである。

参考文献:相模原市教育委員会「さがみはらの地名」、「相模原の文化財」及び現地案内板

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