相模原の道・橋・花 -さがみはら百選-
行幸道路
行幸道路南台付近 「行幸道路」とは、県道町田厚木線のうちJR横浜線の町田駅から在日米陸軍キャンプ座間までの約7キロの道を言う。

昭和天皇が、陸軍士官学校の卒業式に行幸するための道路として作られたため、この呼び名で親しまれている。

昭和12年12月20日、新しくなった陸軍士官学校の卒業式に間に合わせるために2ヶ月間の突貫工事がおこなわれ、行幸直前に一応整備された。それまでは「府中街道」と言われる畑の中の曲がりくねった細い道だったそうで、その後多くの青年団員や学校生徒の勤労奉仕によって完成した。記念の石碑を今も伊勢丹横にみることができる。天皇はその後毎年卒業式に行幸したそうである。

現在は町田厚木を結ぶ大事な幹線であると共に、小田急線沿線の各駅(町田、相模大野、小田急相模原、相武台前、座間)を結ぶ道路でもあり、混雑で有名である。

軍都だった相模原
昭和12年、日本陸軍の士官学校が
市ヶ谷から当時の座間村、新磯村に設置され、
麻溝村、大野村にまたがる広大な土地が
練兵場となった。

昭和天皇はこの年第50期の卒業式に臨み、
学校の場所を「相武台」となづけたのだとのこと。
現在はその面影もなくなりつつあるが、
行幸道路沿道にはこんな施設があったのだ。
むかし いま
陸軍士官学校 在日米陸軍キャンプ
陸軍通信学校 相模女子大学
第三陸軍病院 国立相模原病院
電信第一連隊 在日米軍ハウス
相模原陸軍病院 伊勢丹、相模大野高校など

出発はJR町田駅。天皇専用のプラットホームがあったという。左の本線のほかに、現在も引込み線があって、当時をしのぶことができる。 ホームから行幸道路までの短いけやき並木の通り。いまはうっそうとしていて、回りには高層マンションが立ち並んでいる。    町田駅へ向う急な坂道。
谷口陸橋。江ノ島へ行く小田急にかかっている。 16号との交差点。小田急線の各駅ともつながっているため混雑する道としても知られている。 道路の奉仕記念の碑。下の文字は読み取れなくなっていた。
伊勢丹横のスクランブル交差点。この道路随一の賑やかなスポット 道路から眺められる米軍ハウス。 国立相模原病院へむかう商店街の入り口。ここも混雑で有名な賑やかスポット。


府中街道は大磯から厚木、座間、町田を経て、府中で甲州街道へと結ぶ大事な道路であった。
昔府中街道であったことを示す道標。小田急相模原駅から少し西によった辺りのマンションの庭に見つけた。 座間体育館辺り。道を左へ取ると厚木方面へ。まっすぐ行くとキャンプを経て座間市内へと行く。 この道の終点、陸軍士官学校のあった場所。現米軍キャンプで物々しく警戒されていた。

参考文献: 私たちのさがみはら(相模原市立中学校副読本)

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