相模原の道・橋・花 -さがみはら百選-
当麻道(たいまみち)
 当麻山無量光寺は時宗(じしゅう)の大本山として昔から広く人々の信仰を集めていた。
そのため、このお寺をめざす人々がよく行き来した道を当麻山道(たいまさんどう)あるいは当麻街道と呼んでおり、かながわの古道50選、かながわの美林50選に選ばれている。

 無量光寺は、戦国時代には小田原の後北条氏と関わったり、また、近世には徳川家康より朱印地(年貢を納めなくてよい土地)30石を認められるなど、その長い歴史の中でも常に相模原の重要な位置を示してきた。そのため、地域に対する影響力も大きく、無量光寺や一遍上人に関係する地名もその近辺には多くある。
 例えば、一遍上人の奇跡として名高い「笈退(おいしゃり)の遺跡」や昭和8年に改修、命名された「無量坂」などがある。

無量光寺本堂
 無量光寺は、当麻地区のほぼ中央に位置する静かな古刹で、その境内は市の指定史跡となっている。

「踊り念仏」で有名な時宗の開祖、一遍上人(1239〜1289年)は、その諸国遊行の途中にこの当麻村の山中に庵(金光院)を結び、これを弟子の真教が伽藍として建立したものが無量光寺であると伝えられている。

 当麻道の主な道筋は二筋あった。

 その一筋は多摩方面から無量光寺をめざすもので、木曾村(町田市)で境川を渡り、龍像寺坂で「同者みち(磯部道)」と分かれ台地上に出、當麻村に向かう道筋である。「当麻道(境道)」あるいは「大道(おおみち)」ともいった。

 もう一筋は津久井方面から無量光寺をめざすもので、大島村の古清水集落、田名村の四ッ谷集落から広い原野を通り抜け当麻村に向かう道筋である。「当麻道(久保沢道)」ともいった。

当麻みち図
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問合先:文化財については、相模原市文化財保護室 042-769-8371



無量坂 無量坂碑 無量坂を降る
多摩方面、あるいは久保沢方面から原野を通りぬけてきた参詣者は無量坂に着く。
「無量坂碑、昭和八年二月戊」と刻まれている。相模原台地をやや降ったところにある。
無量坂碑を曲がって静かな古道を降ってゆく。かなり急な坂道である。

当麻坂 当麻坂道標 無量光寺山門
東原古墳から降る当麻坂。もう無量光寺はすぐそばである。
当麻坂石碑。ここからやや降って無量光寺入口に至る。
無量光寺山門(市指定有形文化財)。この石段を登ると当麻山無量光寺である。

参考文献:相模原市教育委員会「相模原の地名」、「相模原の文化財」

 

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