さがみはら観光ウォーキング
無量光寺/当麻山公園/当麻東原古墳
無量光寺
当麻山公園
当麻東原古墳

 当麻山無量光寺は時宗の開祖である一遍上人の縁の寺として知られ、無量光寺山門の他、境内そのものが市指定史跡となっており、かながわの景勝50選の一つにも選ばれている。

 諸国遊行の途中の一遍上人が鎌倉時代の弘長元年(1261年)金光院という庵を結んで修行に励んだのが寺の起りであるという。後の嘉元元年(1303年)、一遍上人の弟子であった真教が遊行の後に、この地に無量光寺を建立し定住したという。

無量光寺山門
 無量光寺山門。
 この山門は市指定有形文化財となっている。

交  通:JR相模線原当麻駅下車。
問合先:相模原市観光協会(TEL:042-769-8236)
※順路は、写真を左から右へ見てください。



無量光寺山門。「当麻山」 一遍上人立像 無量光寺本堂
山門に書かれた山号。「當麻山」とある。
遊行「一遍上人」立像。小がらないでたちである。
無量光寺本堂。

本堂裏の池 水中から出ている大木 お髪塚
御影の池。一遍上人が自らの姿を映して木造を刻まれたという。
水辺から立ち上がる大木。珍しい光景である。
徳川家康先祖のお髪塚。徳川家の先祖と縁があった。

  【お髪塚縁起】碑文

 南北朝の頃應安元年(1368)新田義宗は南朝につき挙兵、この時徳川家康の先祖にあたる世良田左京亮有親、松平太郎左衛門尉親氏父子も義宗につき戦いしも利あらず、乱を避けて当山に入山、時の住持八世良光上人に帰依、薙髪授戒、有親を長阿彌、親氏を徳阿彌と称し髪をこの地に埋め、その時所持せし本尊宇賀神弁財天を山内に安置し随従、御家士二人も当山において出家、後年長蔵庵にて逝去、両名をこの地に葬り五輪之塔を建て主従の霊を供養すと伝えられる、後に村人この塚をお髪塚と呼べり、
 当山は戦国の頃は、後北条氏の加護厚く寺門栄えしと言へり、時移り家康関八州を所領し江戸城入城の翌天正十九年(1591)当地の領主内藤清成の上申ありて徳川家康より庄園三十石を拝領し境内数萬坪は守護不入の聖地として保護せられ寺門繁栄せりと今に語り伝えられる、
     昭和五十三戌午年十月二十三日
            当麻山 無量光寺 第六十七世他阿昭善 謹白

境内 境内の桜 境内のトイレ
境内にはうっそうとした木々がおおいかぶさっている。
大きな桜の木があり、ちょうど桜の見ごろであった。
境内にはトイレがある。左側を通って当麻山公園に行ける。

当麻山公園 当麻山公園の菖蒲園 一級水準点No.34
当麻山公園広場。写真右の建物はトイレ。
菖蒲園。シーズンには見ごたえがありそう。
一級水準線。北緯35度31分28秒、東経139度22分14秒。

無量光前の坂道 坂道途中の広場 「当麻坂」の道標
無量光寺前県道52号の坂道を100mほど上る。
車が止められるスペースがあり、左手から坂を登る。
「當麻坂」道標。江戸時代、参詣の同者はここへ降ってきた。

あずま坂 当麻東原古墳の碑 当麻東原古墳
あずま坂。段丘上にゆく急な坂道を登ると古墳がある。
当麻東原古墳碑。河原石を積み上げた横穴式円墳である。
当麻東原古墳。古墳上からは、相模川が見下ろせる。、

  【当麻東原古墳】碑文
    相模原市長 館盛 静光

      相模原市指定史跡名勝天然記念物
         平成元年二月三日指定

 当麻東原古墳は、相模川左岸に築かれた河原石を積み上げた横穴式石室もつ円墳です。墳丘の規模は直径十六メートル・高さ約三メートルで、墳丘の周囲には幅二メートルの溝が巡っています。埋葬施設である石室の中からは装身具や武器具などの副葬品が四百点余り発見されています。
 本古墳は、当麻谷原古墳群と並び古墳時代後期の七世紀代に造られたもので、相模川低地に生活活動の場をもった集団の長の墓と考えられます。また昔から「馬塚」や「名馬塚」という名で伝承され、永く保存されていました。
 高塚古墳が少ない相模原市にあって、良好な状態で残っており、かつ当地の古墳時代の姿を伝えるものとして貴重であるため相模原市指定史跡名勝天然記念物に指定されました。

                    平成二年三月
                      相模原市教育委員会

参考文献:公園内案内板

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