相模原の寺社・文化財 -さがみはら百選-
護王姫社
護王姫明神社護王姫大明神 
 源義経が頼朝に追われて、平泉に落ちていった。後を追って義経の側室牛王姫がこの地で産気付き難産の末亡くなった。村の人々は憐れに思い、墓の代りに2本のケヤキを植えた。
 後に日蓮上人がこれを聞き、姫を「護王姫大明神」として手厚く供養して霊を慰められた。以来安産の守護神として近在の人々に信仰されている。(座間での伝承)
 この護王大明神の社は、維新後、近くの円教寺の手を離れ檀家総代の星野家で管理されている。
 境内には赤い文字で安産守護、護王姫大明神、休息山円教寺と記された碑が建てられている。

座間市最大最古の大ケヤキ
 護王姫明神社の境内には天然記念物のケヤキの大木があり、市指定文化財にとなっている。
 根周り6.6メートル、幹周り4.3メートル、高さ約20メートル、根張り15〜20メートル、特徴2幹が1株になっている。推定樹齢300年。栗原神社のシラカシと共に座間市最大最古とされる。

所在地:座間市入谷1丁目(51号町田・厚木線、星の谷歩道そば)
交  通:小田急線座間駅下車徒歩約15分 
問合先:文化財については座間市生涯学習課 046-252-8476

大ケヤキ 俗称大欅 護王姫社石碑
高くそびえる大ケヤキ。 天然記念物ケヤキ(俗称大欅)昭和42年5月11日指 安産の守護神「神護王姫大明神社」の石碑。

安産の守護神牛王姫伝説のいろいろ
 牛王姫は、実は義経の側室ではなく「熊野牛王売り」の一女性の哀話だった、とする興味深い説を稲葉博先生が著書「神奈川の古寺社縁起」の中で述べておられるので、要約して紹介しておこう。
 牛王売りとは、牛王宝印の押してあるお守りの紙を売り歩く人たちであり、その牛王とは半紙ほどの大きさに、カラスと宝珠を以って図案化し、黒で印刷し神秘的な感じを与えるお守り紙のことである。

 「義経が自分には決して、二心がないことを、この熊野牛王紙にしたため、頼朝に訴えた。また一方この逸話を牛王売りたちが販売に利用したというのである。全国津々浦々まで売り歩いた牛王売りの女性たちが、相模のあたりを漂浪していて、その中には御師や山伏と夫婦関係にある者が多かったから、ときには道中で出産する場面も多かったであろう。

 義経の話を語り伝える中に、いつしか実際にあったと思われる名もない牛王売りの難産の悲話が、義経を慕って奥州へ落ちてゆく牛王姫物語に発展し、当社の縁起となったとは考えられないだろうか。
」と、推理している。

 以上の他に、一色伊予守六郎の妻説(海老名での伝承)や、平清盛の側室常盤の娘説(座間古説)などがあるが、いずれも護王姫が星の谷で難産で苦しんで亡くなったことは一致している。
護王明神社の絵馬
 護王明神社は、安産の神様として庶民の信仰を集めてきたが、今に残る絵馬にその願いを託して神社に奉納されてきた。
 絵馬の記名などから明治時代から平成までの幅広い年代と、座間市域以外にも旧満州や福岡県の方の名前もあり、多くの人が遠近を問わずに来られたことがわかる。また、安産以外の祈願がされたものもある。
女拝み絵馬 夫婦拝み絵馬 眼病平癒絵馬
絵馬の種類
 絵馬は大別すると「男拝み」と「女拝み」、「夫婦拝み」、「動物」、「文字」などの種類がある。これらの絵の意味するものは男拝み、女拝み、動物のうちニワトリは安産祈願、「め」の絵馬は眼病平癒を示唆するものと思われ、この社に対する祈願の範疇が多岐にわたることを物語っている。
参考文献:稲葉博著・神奈川の古寺社縁起
座間市史資料叢書座間古説、座間ガイドマップ
資料提供:「あった!護王姫社の大ケヤキ」ホームページ


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