相模原の寺社・文化財 -さがみはら百選-
龍像寺
 この寺は、山号を「淵源山(えんげんざん)」といい、厚木市七沢にある曹洞宗広沢寺の末寺である。縁起によると暦応年間(1338-1341年)、境川に住んでいたという大蛇をこの地の地頭淵辺義博が退治し、3体に分散した蛇体をおのおのの地に葬ってそれぞれ龍頭寺、龍像寺、龍尾寺としたと伝えられている。その後、3寺とも荒廃してしまったが、弘治2年(1556年)に巨海(こかい)和尚によって龍像寺だけ再興された。寺宝として、龍骨の一部と義博の矢じりと板碑が所蔵されている、という。

 墓地内には江戸時代にこの地の地頭であった旗本岡野家の墓地があり、市指定史跡となっている。また、この寺の近くの龍像寺坂は、江戸時代の当麻道と同者道(大山道)の分かれ道であった。

龍像寺正門
 墓地の正面右端の墓碑が先祖の板部岡越中守融成のもので、融成は小田原北条氏につかえ、四代氏政の信頼を受けて奉行衆となった。

北条氏滅亡後は姓を岡野と改め、豊臣・徳川両氏に仕え、後に淵野辺村の地頭となり、千五百石を知行した。

所在地:相模原市東淵野辺1440−1の一部
交  通:JR古淵駅より北西に約700メートル
問合先:文化財については、相模原市文化財保護室 042-769-8371



龍像寺 岡野氏の墓地 岡野氏歴代の墓碑
龍像寺本堂。明治時代には寺子屋を継いで「淵博(えんぱく)学舎」が開かれた。
岡野家の墓地。時代の盛衰を表して大きさが異なる。
歴代の墓碑が奥の方から年代順に並んでいる。
参考文献:相模原市教育委員会「相模原の文化財」、「さがみはら風土記稿」、現地案内板

 

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