相模原のイベント・祭り -さがみはら百選-
相模原薪能
  昭和62年(1987年)、相模原市の人口50万人記念事業の一環として始まった「相模原薪能」は夏の夜を飾る風物詩的行事として定着し、平成16年(2004年)8月18日(水)に開催された薪能は17回目となるものであった。
シテの舞
  運営は相模原市及び(財)相模原市民文化財団の共催。当初は青年会議所を中心とする実行委員会によって運営されていたが、第5回からは同文化財団が運営母体となっている。

  能舞台は淵野辺公園内の芝生広場に特設舞台として設えられる。闇が深まるにつれ、木立に囲まれた会場内は幽玄の世界が次第に醸し出されて行く。

所在地:相模原市弥栄−1−6 淵野辺公園芝生広場 特設舞台
交  通:小田急線・相模大野駅から大野台経由JR相模原駅行きバス、淵野辺公園下車。
問合先:(財)相模原市民文化財団 042-749-2200


シテの舞  薪能は元来、奈良・興福寺の修二会(しゅにえ)の際に南大門の芝の上で四座の太夫によって行われた能楽が起源とされ、修行僧たちが「行」を終えた後に行っていた「焚き火行事」と春日山から切り出した「薪を仏に捧げるという儀式」とが組み合わさった神事芸能として発展したものといわれている。

  能の発展とともに、この神事が「薪能」と呼ばれるようになったのは室町時代になってから。明治になって一時中断し、終戦後の昭和27年(1952年)鎌倉宮で復活上演されて好評を博し、各地で開催されるようになった。相模原近辺では、相模原薪能のほか大和市泉の森(特設水上舞台)で隔年10月(第1土曜日)に開催される大和薪能がある。
(*)



火入れ式 火入れ式
  開演に先立っての儀式。舞台前方の両側に設えられた篝火に火が灯される。(左*)

篝火(かがりび)
  暗闇の夜空に浮かび上がる篝火。夜能では欠かせない演出である。(右*)
舞台両脇にかがり火


  この相模原薪能においては、シテ方五流(観世流、宝生流、金春流、金剛流、喜多流)のうちの観世流と宝生流が毎年交互に上演されることになっており、平成16年(第17回)は観世流によって演じられた。

第16回相模原薪能・番組
(火入れ式
(仕舞) 難波 角当直隆
三輪 山中□晶
船弁慶 梅若晋矢
(狂言) 附子 太郎冠者 山本則俊
主人 山本則孝
次郎冠者 山本則秀
(能) 石橋 赤獅子 松山隆之
樵童 松山隆雄
白獅子 梅若六郎
寂昭法師 村瀬 純
 出演者のうち、第五十六世梅若六郎と松山隆雄の両氏はいずれも国の重要無形文化財総合指定の認定を受けた観世流能楽師であり、松山氏は相模原市内在住者でもある。

  ちなみに、前年の平成15年(第16回)は宝生流によって次のような番組のもとで演じられた。
                第15回相模原薪能・番組
(火入れ式)
(能) 井筒 シテ 朝倉俊樹
ワキ 村瀬 純
(狂言) 水掛聟 山本則俊
(能) 殺生石 シテ 佐野由於
ワキ 村瀬 純









  正面向かって右側に地謡役、後ろに後見役。シテ役は大鼓、小鼓、太鼓、笛の音にあわせて舞い謡う。(左)


  能の幕間に演じられる狂言では場内が笑いの渦に包まれる。(右*)

開場を待つ人の列 広場に設営された椅子席
  今年度第17回の入場者総数は1700名弱。「アテネ五輪の影響で、昨年の2200名余に比べてやや減少した(主催者事務局)」ものの、用意された椅子席は満杯となって、立見席も出る盛況であった。(*)   古典芸能としての能の美しさは装束や面、扇子だけでなく、物語を構成する日本語の美しさにあるともいわれている。

参考文献:(財)相模原市民文化財団「相模原薪能について」ほか
*印写真提供:(財)相模原市民文化財団
資料提供:tanto's room ホームページ



 

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