相模原の自然 -さがみはら百選-
水郷田名
 水郷田名は、田名地区の中でも特に、相模川に面した久所(くぞ)を中心とした地域をいう。水郷田名を含む田名地区の歴史は古く、原始、古代の時代に遡ることができるという。

 江戸時代には、橋本から下九沢を通る大山参詣の街道があり、ここから「渡し」を利用して相模川を渡った。また、相模川はそのまま水上交通の流通路として栄え、筏、高瀬舟などが往来する姿が見られた。
 その後もともと盛んだった相模川の鮎漁に、観光的要素をもつ鵜飼が加わり、旅館などが立ち並ぶ歓楽街として繁盛し、「水郷」と呼ばれるようになった。

烏山用水
 田名地区から望地地区に至る烏山用水路と崖側を通る新堀用水路は、江戸時代末期に下野国烏山藩の大久保氏が宗祐寺近くの山王崖から隧道(トンネル)を掘り相模川の水を引き入れて作られたが、洪水のため荒廃した。
 その後地元の篤志家江成久兵衛らの努力によって再び用水として復興され、現在に至っている。

所在地:相模原市田名800付近
交  通:JR橋本駅・相模原駅・淵野辺駅・上溝駅・小田急相模大野駅からバス「水郷田名」(終点)下車
問合先:相模原市商業観光課 042-754-1111


水郷田名の石碑 烏山用水路 烏山用水路の鯉
「鮎の水郷田名」と書いている。鵜飼も行われていた。
烏山用水路。水路に沿って歩道が整備されている。
烏山用水路にはとこどころで鯉が飼育されている。

水郷田名の石碑 烏山用水路 烏山用水路の鯉
新堀用水路。烏山用水路と合流して相模川にそそぐ。
用水路を復活させた江成久兵衛の銅像。
新堀用水路は流れが早く、鯉を泳がせることはできない。

久所(くぞ)の渡しの石碑 鮎供養塔 烏山用水の終点、魚釣り場
大山参詣の人々はここから対岸の小沢に渡った。
鮎漁が盛んであり、鮎の供養塔がある。
烏山用水は望地弁天そばの魚釣り場に至り相模川に流れ出す。

滝の渡しの石碑 対岸の葉山島付近 かっての渡し舟らしく
久所の渡し上流1キロメートルほどにある「滝の渡し」。
対岸の葉山島下河原あたり。長い距離ではない。
旧渡し場に舫っていた舟。かってはこんな舟で渡ったのかも。

 その他、水郷田名には1200匹もの鯉のぼりが群泳する「相模川の鯉のぼり」や住宅地にひっそりと佇む「田名八幡宮」があり、「相模川ふれあい科学館」では相模川に生息する魚類を中心に、日本の淡水魚を飼育展示している。

 また、年中行事として、元旦の寒中水泳大会、夏には相模原納涼花火大会が催される。

参考文献:相模原市「広報さがみはら」及び現地案内板

 

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